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ルッキズムからの解放.

ルッキズムからの解放.

ルッキズムとは何か?ルッキズムから解放される方法について紹介

「自分の容姿に自信がない…」、「今のままの体型じゃダメなのではないか」など、自分の外見に自信がなく、悩みを抱えているという方も少なくないはず。

自分のことだと、良いところより気になるところに目がいってしまう。人に良いところを褒められるより、気になる所を指摘される方が心に刺さること、ありますよね。 

ルッキズムからの解放 

 あたり前ですが、人は1人ひとり異なり、どんなにそっくりな双子であったとしても、全く同じ外見の人というのは存在しません。

しかし、“見た目が良くない自分には価値がないんじゃないか”と自己嫌悪に陥ったり、“あの人は美しくないからダメだ”と他人をジャッジしたり。外見だけで自分・他人を、判断した経験が一度や二度、無意識に毎日感じている人もいるかもしれません。

 

この「ルッキズム」に関する問題はとても根深く、日々の生活でも無意識に存在しています。

この記事ではルッキズムについて詳しく紹介し、ルッキズムからの解放について一緒に考えれたらと思っております。

ルッキズムとは何か 

ルッキズムとは何か

ルッキズムとは「外見至上主義」のことを指します。語源としては見た目や容姿のことを指す「ルックス(Looks)」と、主義を指す(ism)を足し、ルッキズム(Lookism)と呼ばれるようになりました。

見た目を重視し、対象(自分も含む)の価値を見た目で決めつけるような行為のことを指し、差別にもつながります。 

例えば、「かっこいい」「かわいい」「スタイルがいい」などと判断した相手相手には大切に扱い、容姿が魅力的でないと判断した相手のことは雑に扱う、などが例になります。

そのほか、「あの人は太っているから運動ができないんじゃないか」、「あの人は美人だから他の人を見下しているんじゃないか」などなど……そういった見た目をきっかけとした偏見や差別などが、丸ごと「ルッキズム」に定義されます。

 

そもそも「美」の基準は人それぞれ。

 

何を見て美しいと思うのか、どこを判断して美しいと感じるのかは1人ひとり異なります。

他人のことを思いやる姿を「美しい」と思う時もあれば、何かに一生懸命になって心打たれる姿に「美しい」と感じることもあるでしょう。

顔のパーツの大きさや肌の色、体型などで「こんな人が美しい!」とひとくくりにすることはできません。

しかし、型にはまった顔や体型の“美しいの考え方に縛られ、「“かっこいい“や“美人”でなければ周りに認められない」「スタイルが良くなければ自分に価値はない」といった概念で今の自分を受け止められずハッピーな気持ちが減ってしまっている人も多く見受けられます。

 

 生活の中に潜むルッキズム

私たちの日常に潜むルッキズム

 私たちの日常の中にも、ルッキズムは多く潜んでいます。無意識に当たり前になってしまったものもあるかもしれないので、少し周りを振り返ってみてください。

痩せているのか太っているのか

特に日本では、まだまだルッキズムの考え方が強く、「太っているよりも、痩せている方がいい」、「痩せすぎていると、貧相でみっともない」など、自分や人の体型についてあれこれ考え、悩んでいるという方も少なくないでしょう。

モデルやアイドルを見ては、「あの人くらい痩せないと・・!」「今の自分の体型じゃダメなのではないか」「もう少し筋肉をつけた方が周りにいい印象になりそう」と焦り、無理な体調管理をして体調を崩してしまうパターンもよくあります。

前提として、「この体型じゃないとダメ、この体型になれば良い」というのは間違っています。大切なのは体型ではなく、その人が自分自身を受け入れ、過ごしやすい状態でいることができるのか、という点が重要と言えるでしょう。

 

美しい肌の色は何色を想像しますか?

綺麗な肌、美しい肌の条件としてよく挙げられるひとつが、「透き通るような白い肌」です。

本来、肌の綺麗さというのは色で決まるものではないのですが、「美白」という言葉があるように、白い肌こそ美しい、と思い込んでいる人が多く、多くの広告や雑誌などで美白という言葉を目にします。

小麦色の肌も白い肌もどちらも素敵であるはずなのですが、このような思い込みもなかなか抜けるものではありません。

 

一重まぶたと二重まぶた

こちらも一概に言うことはできませんが、特に日本人の中には、「一重まぶたより、二重まぶたの方がかわいい/かっこいい」と思っている人も多いのではないでしょうか。

アイプチをはじめとする二重にするようなメイク用品もありますし、二重まぶたにするプチ整形も今は比較的安価でできるということもあり、二重まぶたに憧れている人が多いと言うこともわかります。

冷静に考えれば、まぶたに1本、線があるかないかで、その人の魅力や価値が決まるわけではない、ということはわかりきっています。

今よりはるか昔、平安時代などでは、細い目の女性が美しいとされていました。本来、時代によって移り変わるほど、美の基準というのは曖昧なものなのです。

 everyone is beautiful

 

ルッキズムで悩んだ私の話

このように根強い考え方であるルッキズムについて悩んだことがあるというも多いでしょう。

以下には、ルッキズムに悩んだ学生時代の筆者の実体験をご紹介します。

 あの頃があって今がある

あの時、私は二重に憧れていた。

私は生まれつき一重です。両親どちらも一重で、幼い頃はそれが当たり前だったためなんとも思いませんでした。

しかし、小学校高学年頃。オシャレに興味が湧くようになった年頃になったとき、同じクラスの女子から「目つき悪いよね」と揶揄われるようになりました。その子はパッチリ二重の可愛い子だったのです。そこから自分の一重コンプレックスは始まり、「二重の子だけが可愛い子」と思い込むようになりました。

高校に入学してからは毎日、アイプチで二重を作っていましたが、不器用なためうまくできず…さらに、「偽物の二重であることが周りにバレたらどうしよう」、「何か陰で言われているんじゃないか」と不安になり、毎日ドキドキしながら過ごしていました。まぶたの調子が悪くアイプチがうまくいかないときはヒステリーを起こしていたほど、私は二重まぶたに囚われていたのです。

ルッキズムからの解放.

そんなアイプチ生活に嫌気がさし始めた高校の修学旅行時、飛行機内で一晩過ごすことになっていたのですが、機内にアイプチは持ち込むことができないという危機的状況に陥りました。

「アイプチなしの顔を晒すわけにはいかない」と困った私は、大泣きした末にプチ整形を決意。結果、自然な二重になり満足はしたのですが、「整形だとばれた時には、同級生に何か言われるんじゃないか」と新しい不安が付き纏うようになりました。

1年後は受験勉強に追い込まれ、夜中まで勉強し机で突っ伏して寝てしまう毎日でした。

その突っ伏した姿勢が、まぶたの負担となり擦れて目元の糸が切れてしまい、私の目は緩やかに元に戻っていき、高校を卒業する頃には完全な一重に戻りました。

しかし、その時の私は絶望することなく「こっちの方が私らしくていいな」と思えていたのです。たくさん泣き悩んだ結果、その答えに辿り着くことができました。そこからはアイプチをすることもなく、一重に似合うメイクを研究し、自分の魅せ方を学びました。結果、私は今の自分の顔が1番好きです。

無理にアイプチをしていた時よりも、ビクビクしながら整形した時よりも、自然に笑うことができます。今でもなお、二重まぶたを羨ましいと思う気持ちが完全になくなったわけではないけれど、私は生まれ持ったこの目を、これからも愛していきたいな、愛してあげたいなと強く思っています。

もしも当時の私に声をかけることができるならば、ありのままの目に自信を持つことができるようになったよと伝えたいです。

it is my story

  

そんなルッキズムから解放されて自分を愛す!

そんなルッキズムから解放されたら、どのような人生を送ることができるのでしょうか。

  

ありのままの自分を認め、愛す

見た目で自分や他人の魅力をはかることはできません。ルッキズムから解放されれば、「〇〇な顔じゃないとダメ」、「〇kg以上/以下でない自分には価値がない」と考えることなく、ありのままの自分を認めて愛することができるようになるでしょう。ありのままを認め、「こうあるべき」という呪いから解放されれば、もっと楽に幸せに自分を認め毎日を過ごすことができるようになるでしょう。

 

心ないイジリやからかいに同調は不要

悲しいことに、デリカシーのない人というのは存在します。「見た目をイジるのはNG」という風潮がなんとなく広まってきたような今でも、体型についてや顔についてなど、ぽろっとデリカシーのないひと言を言われてしまい傷ついた事があるのではないでしょうか。なんとなくその場をやり過ごすために愛想笑いで同調し、後から切ない思いをする…なんて経験のある人もいるでしょう。

 しかしルッキズムから解放され、ありのままの自分を認めることができるようになると、そのような心ないイジりやからかいに同意しなくてもよくなります。 

他でもない自分がありのままの姿を認め、愛しているのに、他人にあれこれ言われる必要はありません。

しかし、嫌だなと心で思っていたとして、「そういうのやめてくださいよ!」とはっきり言うのはハードルが高い。。

そんな時は無理せず、「まずは愛想笑いをやめてみよう」「あまり反応しないようにしよう」などというところから始めて、無言を貫いてみる、見た目いじりの話が始まったら席を立ち、デリカシーのない人とは距離をとるようにするなど、自分を守るため、できるところから始めてみるというのも1つの手段です。

 

自分に、そして隣の人に優しくできる

自分だけでなく他人のことも見た目でジャッジせず、内面を見て人と関わるようになった時、もっと心温かく思いやりを持って接することができるでしょう。他人が見た目を揶揄われている時も同調しなくて済みますし、相手の内面を見て、誠実な関わり合いができるようになります。

 

ルッキズムからの解放

根深い問題であるルッキズム。

少しずつ解放されていくために

まだまだ根深い問題であるルッキズム。ありのままの自分を受け入れていくということが難しいという人もいるかもしれません。

しかし、少しずつでもいいので自分の意識や心持ちを変えていくことにより、過ごしやすくなっていくのではないでしょうか。

「見た目」で他人や自分をジャッジするのをやめること、美しさの基準を自分自身がしっかりと確立し、世間や誰かのいう「美しい人ってこういう人」という意見に流されないようにすることが重要になってきます。

最初は難しくとも、少しずつ実践していくことにより、自分の中にあるルッキズムを解放していきましょう。

そして、鏡の前の自分にビックスマイルを届けてあげてください!

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